Clone Rascal

   
  2008
 
 

46 x 7 x 7 in.

  taxidermy racoon dog,electric toy, mixed media
 
  W:117 D:18H:18(cm)
  狸の剥製、電動玩具、ミクストメディア

▲定期的に鳴き声を上げ足を不格好にバタバタしがら這い回る。

Clone Aesop

   
  2008
 
 

46 x 7 x 7 in.

  taxidermy fox,electric toy, mixed media
 
  W:117 D:18H:18(cm)
  狐の剥製、電動玩具、ミクストメディア

 

数年前に質屋のショウウィンドウにAIBOが売られているのを見かけた。その時何故かよくわかならい悲しい気持ちになった。何故電化製品が売られているだけでそんな気持ちになったのか、生き物そっくりの精巧な人形が売られていても悲しい気持ちにはならなかっただろう。僕はその売られている疑似ペット家電製品が動く事を知っているからか。
売り出し当時AIBOにこんなキャッチコピーがあったのを思い出した。「ソニー製ではない、ソニー生まれである。」うまくいうものだと思った。恐らくAIBOの目指すべき到達地点は新しいペットとしての座なのだろう。真意はどうであれ僕は勝手にそうに理解した。来るべきアトムやドラえもんの世界への一歩になるつもりなんだと。
まず取りかかったのは動作の追求。私たちがペットと錯覚できるように愛らしい動作を最優先したんだと思う。そして人工知能。しかしこれには更なる科学技術の為の膨大な時間と予算、結果製品としての価格を考えるとそう最重要課題ではなかったと思う。もし動作も本物と見紛う程になり、ペット並みの知能を獲得したならば、最後には外見だろう。精巧なフェイクファー、動物のような体温や臭い。もしそうなった時、私たちはそれを電化製品と呼べるのか。新しいカテゴリーとしてロボットの地位がついに確立されるのか。そして生命の存否が判断されるのか。その時になり、初めてクローン問題のように私たちの倫理観が問われる事になるのだろう。しかしそのショウウィンドウに陳列されたAIBOはすでに生命のかけらみたいなものを持ち始めていたのかもしれない。だから僕はそれを見た時、よくわからない悲しい気持ちになったんだと思う。そう思えるようになった時「ソニー製ではない、ソニー生まれである。」というキャッチコピーが途端に怖くなった。
僕の作ったクローンたちは剥製を使用しているので外見は本物のようにリアルである。(というよりも本物である。)つまりAIBOとはプライオリティーを反転させてある。外見が最重要視され、動作は軽視され稚拙。(この這いずり回る姿が悲痛さを連想されるので作品にとって重要なのではあるが)もしも僕がこのクローンを作り続ければいずれAIBOのような愛らしい動作をするようになるのかもしれない。もしもソニーがAIBOを作り続けていたならばいずれこのクローンたちのような外見になっていたのかもしれない。
そう考えればこの二つの目標到達地点は同じだったのかもしれない。